お金を騙し取られない、たったひとつの心構え

「ノット・ファースト・コミットメント」を徹底して詐欺・悪徳商法被害ゼロを目指す

詐欺に遭うことの精神的苦悩

詐欺の被害に一度でも遭ってしまうことの精神的苦悩――これはある意味で、麻薬に手を出すようなところがあると私は思います。麻薬は「一度くらいいいだろう」という安易な気持ちが、その人の心も体も、そしてたった一度しかない人生もボロボロにしていきます。

あるいは、交通事故の加害者になるようなもの、と言ってもいいと思います。自分の不注意で人に大怪我をさせたり、最悪の場合死なれたりしたときの自責の念は、金銭的な賠償以上に当事者を苦しめます。

あたり前の話ですが、詐欺の被害に遭うと、失った金銭以上に精神的なダメージが来ます。

私の実体験を話すと、千葉県警からの電話によって、自分が詐欺の被害者なのだと知らされたのですが、やはり大きなショックを受けました。高額な羽毛布団を売りつけた業者を訴えて、賠償金を支払わせると言っていた弁護士はじつは詐欺師の一味であり、裁判のために必要だと言われて渡していたお金は、彼らの娯楽のために消えてしまっていた、というのが真相なのですから、当然のことです。

詐欺師の巧妙な嘘にまんまと乗せられて、言われるままにお金を渡していた自分自身のあまりの間抜けぶり、馬鹿さかげんに、深い自責の念に駆られてしまいました。

この自分をひたすら責めつづけるという思考は、「詐欺は騙されるほうが間抜けなのだ」という思いを抱いていればいるほど強く自身を苛んでいくように思えます。それまで馬鹿にしていた側に、他ならぬ自分が立たされてしまうからです。この屈辱感は、なかなか言葉で表現するのは難しいものがあります。

逮捕された詐欺師が、私以外の人たちにも同じような手口を使っていた、という知らせもまた、私を深く傷つける要素のひとつでした。そのときの私の思考は、こんな感じでした。

「詐欺師たちは、私がまんまと騙されたからこそ、この手口を他の人間にも試そうと思ったのだ。もし私が騙されなければ、こんな被害が出ることもなかったのに・・・。」

まるで、自分が詐欺に加担したかのような気持ちにさせられたのです。被害に遭ったのは、まぎれもなく私自身だというのに。

さらに、今回の詐欺事件を起訴するための調書作りのために、何度か千葉県警に協力することになったのですが、それは言ってみれば、自分がいかにして騙されたのかを再認識させられる作業です。

もちろん、警察が意地悪をしているわけではありません。彼らは犯罪者を確実に裁判所で裁いてもらうために、必要な資料を作成しているだけなのですが、私にとっては傷口に塩をすり込まれるかのような体験でした。担当の刑事さんも、最後には呆れたように「どうしてこんなになっても気づかなかったのか」と言われる始末です。

詐欺の被害に遭うというのは、どうしようもなく心を苛まれること、場合によっては死ぬほどつらい苦悩を抱え込むということです。