お金を騙し取られない、たったひとつの心構え

「ノット・ファースト・コミットメント」を徹底して詐欺・悪徳商法被害ゼロを目指す

被害者を責める人の心理

詐欺の被害に遭ったとき、人は必要以上に自分を責めるものだということは、じっさいに詐欺の被害者となった経験のある自分自身がよく理解していることですが、それ以上に、詐欺の被害に遭った人に対して、それとは無関係の人たちまでもが必要以上に彼を責め立てるような態度をとることがある、という点に、私は強い憤りを感じずにはいられません。

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なぜ、詐欺行為をはたらいた加害者ではなく、被害者のほうを責めるようなことをするのか、なぜ被害者のほうに過失があるかのように考えてしまうのか、ということについて、私は今まであまり深くは考えてはきませんでした。それよりも、いかに人がたやすく騙されてしまうのか、いかに他人の言動に影響されてしまうのか、という心理のほうにこそ興味があったし、それを知ることで、いかに詐欺や悪徳商法から身を守るべきかのほうが、ずっと重要なことだったからです。

ですが、「公正世界仮説」、あるいは「公正世界信念」と呼ばれる概念を知ったとき、なるほどと腑に落ちるものがありました。

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私たちは世界に対して、安心や秩序を求めます。ここでいう「安心」や「秩序」とは、たとえば「良いことすれば良いことが返ってくるし、悪いことをすれば必ず罰せられる」ということであり、「努力をすれば報われる」ということです。「公正世界仮説」とは、そうした法則が、この世界でははたらいていると信じることを言います。

もちろん、そんなことあるはずがない、というのが現実です。私たちの生きる現実というのは、多分に不平等であり、不条理でかつ理不尽なことで満ち溢れています。どんなに良い人でも不幸な事故に遭うこともあれば、極悪人が平穏に寿命をまっとうする、なんてこともありえてしまう世界なのです。

上のリンク先にも書かれていたことですが、この「公正世界仮説」をあまりに信じすぎてしまうと、「公正な世界」を自分のなかで維持しようとするあまり、犯罪の被害に巻き込まれた人に対して、「何らかの落ち度があったのではないか」と安易に考えてしまうことになってしまいます。

人というのは、意外とものを考えず、反射作用に頼って日常を維持しているところがあります。

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とくに日々の生活で忙しく、あまり物事を深く考える暇がないようなとき、私たちは反射的に物事を判断し、選択し、実行します。そしてこれは、「公正世界仮説」を壊さないがために被害者を責める人の心理にも言えることです。「公正世界仮説」があまりにあたり前だと思っているからこそ、「被害者を責める」という行為が反射となって出てしまっている、ということです。

ですが、そうした反射作用は、それこそ詐欺師や悪徳業者にとって付け入る隙を与えることになりかねないものです。

詐欺の被害者に対して、被害者の過失を根拠もなく見いだして責め立てるような人は、もしかしたらその反射作用ゆえに、次は自分が詐欺に遭ってしまう可能性があるかもしれないのです。

「ノット・ファースト・コミットメント」という詐欺対処は、とにかく相手に対して「コミットメント」をその場では絶対に与えない、というものですが、そうするためには、心のどこかに「懐疑主義」を抱きつづける必要があります。それは、「自分ももしかしたら詐欺に遭うかもしれない」という用心を忘れないということです。

同じように、犯罪被害者を責める人たちもまた、「これは『公正世界仮説』を信じすぎているのではないか」という「懐疑主義」を、ぜひ持ちつづけてほしいと思います。それこそが、詐欺や悪徳商法から身を守ることにもつながるはずです。